中仙道の陸橋から赤羽方面を眺めた写真です。
当時は山手赤羽線と呼ばれていましたので、かろうじて我が家は山手線の内側なんだと何となく安心していたことを覚えています。池袋と赤羽の間を往復する省線電車でした。向かって右側の金網のあたりを中心にガスタンクが2機大きくそびえていたものです。家からもガスの蓋の上がり下がりが良く見えていました。その奥には国会議事堂を小さくしたような真っ白な進駐軍の建物が遠くから見ることが出来ました。
昭和35年(1960年)卒業後、約半世紀、46年ぶりに参加した北区立滝野川第二小学校の同窓会をきっかけに滝野川の思い出を振り返る旅の始まり。
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