2006年12月26日火曜日

亀の子たわし


「旧中仙道にあった・・・」と過去形で書こうかと思っていたのですが、今でもあるんですね、昔のままに。 よその人に「滝野川」を説明するときに、あの「亀の子たわし」の本社がある滝野川と言って、ほとんどこの地で唯一全国区に通用するブランド名を子供心に誇りに・・・・ま、物が「たわし」なのであまり強調すると却って馬鹿にされそうなところがあってそこのところは微妙でしたが・・・していたものです。 会社は創業100年を迎えた「株式会社亀の子束子西尾商店」が正式な名前です。

2006年12月25日月曜日

杉村精肉店

子供のころ良く読んでいた漫画に杉浦茂の猿飛佐助や眞田十勇士がありました。 この杉浦漫画に必ず脇役で登場するキャラクターに「コロッケ5円之助」がいます。 この宮元商店街の杉村精肉店は当時熱々に揚げたコロッケを5円ではなかったかも知れませんが10円で売っていました、これを経木に6個並べて、経木の端を裂いて縛ってそれを新聞紙にくるくるっと丸める手際の良さにも見とれたものです。現在のように色々な種類があるわけでもなく純粋にポテトだけのコロッケでしたが、家に帰ってそのまま食べても良し、ソースをかけても良し、本当においしかった。確か、刻んだキャベツはおまけだったような気もします。

滝野川教会

狐塚通り中ほどにある滝野川教会です。自宅から板橋の駅への往復に毎日、前を歩いていたわけですが、とうとう一度も中に足を踏み入れることはありませんでした。男子校だった中学時代に「教会で女の子と知り合った」という話を聞き及んで何度か入りかけては見たのですが、こちらの邪まな気持ちを神様に見透かされるような気がして。

2006年12月23日土曜日

狐塚商店街

正しくは狐塚通り商店街というのでしょうか。それでなくても両側の建物が迫って小さくなった空を電話、電気、多分ケーブルTV, インターネットの光ケーブルなどが覆い尽くしています。 ピンクの提灯も含め、懸命に盛り立てようという意気込みが伝わる街灯装飾ですが、この分をもう少しお稲荷さんの方にも向けていただきたいと個人的には思います。この通りに面した病院で確か扁桃腺をとる手術をされた記憶があります。

2006年12月22日金曜日

卒業記念写真

本日函館に住む佐藤さん(三枝)から連絡をもらいました。「滝野川から移ってもう26年、こちらに住んだ期間のほうが長くなってしまって。。。」と電話で話していましたが、これは直ぐおかしいということがわかってしまいますね。 同級生の良いところは、お互いに年齢のことに気を使わなくて良いところです。
先日の同窓会の写真を送りましたが、誰が誰やらわからないとのことで、家の中をひっくり返していたら小学校の卒業記念アルバムが出てきました。

念のために46年後の写真をもう一度並べて見ましょう。佐藤さんからは今度同窓会を函館でやりましょうという提案をいただきました。一考に価する提案です。さっそく下見にでも行きますか。

2006年12月21日木曜日

ガスタンク

中仙道の陸橋から赤羽方面を眺めた写真です。
当時は山手赤羽線と呼ばれていましたので、かろうじて我が家は山手線の内側なんだと何となく安心していたことを覚えています。池袋と赤羽の間を往復する省線電車でした。向かって右側の金網のあたりを中心にガスタンクが2機大きくそびえていたものです。家からもガスの蓋の上がり下がりが良く見えていました。その奥には国会議事堂を小さくしたような真っ白な進駐軍の建物が遠くから見ることが出来ました。

狐塚

17号線を都電で行くと西巣鴨、御代の台を過ぎて次の停留場が狐塚でした。この次は山手線(現埼京線)を超えて板橋区に入る北区最後の停留場です。板橋区というとかなり辺鄙なイメージがあり、子供のころは線路を越えて板橋へ言って帰ると近所の友達に冒険を自慢したものです。そのころの狐塚は記憶が正しければ鬱蒼とした木々に囲まれ大変立派なお社だったと思います。久しぶりに訪れた狐塚は建物にはさまれ気の毒なくらい小さくなってしまっていました。正一位の幟のはためきだけが往時を忍ばせてくれます。